2012年01月19日

復帰以降の沖縄経済と自立発展に向けての展望 その4






復帰以降の沖縄経済と自立発展に向けての展望 その4


経済の自立化に向けた発想の転換を


ゲーミング産業の導入で国際観光都市へ


 司会 復帰以降の沖縄経済の歩みをふりがえってみますと飛躍的な発展を遂げたのが観光産業で、今や沖縄経済を支える柱になっております。今後も引き続き沖縄のリーディング産業として位量づけた施策の展開が行われているところであり、第4次沖縄振興計画の最終年次の平成23年には、650万人を想定しておりますが、観光施設等の整備などによっては、その目標を大幅に上回ることも期待できるものと私は見ております。


そこで、國場沖縄経済同友会代表幹事には、観光を中心に復帰以降がら今日までの経済の歩みについても話題を展開して頂きたいと思います。


海洋博開催で沖縄観光が脚光


 國場代表幹事 先程来お話がありましたように、昭和47年5月15日の復帰に伴い、政府は沖縄振興開発特別措置法を制定し、同法に基づく高率補助の適用を受けて社会資本の整備が各面にわたって積極的に推進されてきた結果、各面にわたる社会資本の整備は一段と進展をみたことは、仲井眞会頭からも先程お話があったとおりであります。


昭和
47年に策定された第1次沖縄振興開発計画においては、工業立県を目指した計画となっておりましたが、計画では本土アルミ製錬5杜による石川地先での事業計画や松下電機の糸満市への進出、さらには具志川市への造船企業の誘致等計画または誘致運動が展開されましたが、本土において公害問題が大きな社会問題としてクローズアップされたことや、昭和48年秋の第1次オイルショック等により総需要抑制政策が展開されたことなどにより、工業立県に向けての計画は挫折致しました。


沖縄における観光が全国的に脚光を浴びるようになったのは、海その望ましい未来をテーマとした沖縄国際海洋博覧会が昭和
50年7月から昭和51年1月まで、本部町において開催されたことが今日の観光入込客500万人台達成の契機となったことは、承知の通りであります。


この海洋博覧会の開催に向けて、国道
58号の拡幅をはじめ、許田・石川間の沖縄自動車道が開通し、さらに昭和62年の海邦国体においては、石川から那覇まで沖縄自動車道が開通するなどイベントを中心として沖縄における道路交通網をはじめとする社会資本の整備が一段と推進されました。


観光の面についてもう少し具体的に説明を致しますと、昭和47年における観光入り込み客数は445,000人であったのが、海洋博が開催された昭和50年には1558,000人と一気に100万人台を大幅に突破し、その後も比較的順調に年々記録を更新し、ついには平成15年には508万人を記録致しました。


このように、沖縄観光が飛躍的に伸びた背景には、県や県内観光団体、航空会社等の努力もありますが、さらに首里城の開園や平成
1411月にオープンした沖縄美ら海水族館等の観光施設の整備なども沖縄観光の振興発展に大きく寄与しているといえると思います。


それから平成不況と言われる長期景気低迷等による国をはじめ、地方自治体等が減少し、少子・高齢化に伴う老人医療費の増加などにより国、地方自治体の借金は
700兆円を超える中に、自主財源の乏しい沖縄県は財政運営が一段と厳しい状況にあります。


今後は、沖縄県知事や各市町村長がさらにリーダーシップを発揮して頂いて、健全なる財政運営に期待をしているところであります。

沖縄経済同友会と致しましても7,8年前から一国二制度をはじめとする沖縄振興特別措置法の一部改正等による地域活性化に向けた提言を行ってきたところでありますが、引き続き沖縄の自立発展に向けた提言を積極的に展開していきたいと考えているところであります。

〔鰹t夏秋冬社発行 月刊「自治新報」20051月新春号〕



posted by 万国津梁 at 06:12| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 月刊「自治新報」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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