2012年01月27日

復帰以降の沖縄経済と自立発展に向けての展望その12 経済の自立化に向けた発想の転換を ゲーミング産業の導入で国際観光都市へ



復帰以降の沖縄経済と自立発展に向けての展望その12


 

「経済の自立化に向けた発想の転換を

ゲーミング産業の導入で国際観光都市へ」



 

國場代表幹事 第3に、新規雇用の創出が期待できます。沖縄県の高失業率の問題は、本土復帰以来の恒常的な課題であり、とくに若年層の失業は目立った問題として大きな課題となっていますが、ゲーミング事業の導入により、直接的な効果としてゲーミング事業並びに関連産業への新規雇用創出といった失業対策の効果が期待できます。この失業対策の実例として、米国ミシシッピ州チユニ力の例をあげることに致します。


チユ二力では、ゲーミング施設を設置する前は住民一人当たりの所得が全米ではほぼ最下位で失業率も
16パーセントでありましたが、1992年の導入から2000年現在で一人当たり所得がほぼ倍増し、失業率は5パーセントを下回っています。そして、福祉補助金受給者であった人たちが雇用され税金を支払う側に回ったために福祉コストも大幅に減少しています。


つぎにゲーミング事業導入の意義・捉え方としての合法化の意義について申し上げます。そして何よりも合法化されるべき、意義が存在することです。


国内においては、ゲーミングにおけるギャンブル(賭博)行為は刑法
185条で禁止されています。しかし、この刑法は1907年に制定されたもので、時代の変遷によって現実にそぐわない面がいくつか出てきています。


その最たるものはパチンコやパチスロであります。これらは明らかにギャンブルでありますが、法律上は風俗営業法で定められた「遊戯」で、三店方式を採用することによって違法ではないとされています。極めて曖昧な位置づけであります。余談になりますが、国税庁の調べではパチンコ店は一件当たりの事業所得の申告漏れ所得が高額な業種トップ十の上位に度々登場しており、資金の流れが不明朗なところがあります。


そして近年ではオンライン・カジノが脚光を浴びています。インターネットの普及によって生まれたオンライン・カジノは、自宅にいながらルーレットやポーカーといったギャンブル行為が可能となっています。日本人が国内にいながらギャンブル行為を行うなど予想だにしなかったことが現実に起きています。

このオンライン・カジノでありますが、合法が、それとも違法なのか、カジノ研究の第一人者と称されている谷岡一郎氏は違法と判断していますが、サイトの運営者は違法ではないと宣伝しています。そして今のところオンライン・カジノによる逮捕者は出ていません。現在、日本人のプレイヤーは約
60万人いるとされ、今後も増加すると予想されています。


また、国内ではギャンブル行為が禁じられている陰で、アングラ刀ジノが暗躍しています。アングラカジノは国内の主要都市には殆どあると言われており、収益は暴力団の資金源になっています。

このアングラカジノが台頭してきた理由として、ゲーミングに対する需要もさることながら、パチンコなどギャンブルの定義が曖昧であり、法を遵守する意識が希薄になっていることも要因となっているでしょう。


このように刑法
185条は現在、大きなひずみを生んでいますが、外国ではゲーミングをどのように捉えているのか、国連加盟国189ケ国中、124の国や地域でカジノが合法化されています。ゲーミングが合法化されていない国は、日本のほかに宗教的な戒律を持つ中東や欧州の一部、そしてキューバやスリランカなど共産主義国などであります。

そして、合法化されている国、特に先進国と呼ばれる国では、@ゲーミングは「悪」ではなく、「成熟した大人の娯楽」であります。A禁止するのではなく、規制(コントロール)することが可能であります。B合法化することで不正な犯罪の介入を防ぎます。という見方が一般的であります。

日本においても刑法を見直すが、少なくとも特別立法によるゲーミングの合法化を検討すべきではないでしょうか、仮に禁止することを選択すればどうなるでしょうか、年間
20から30兆円の売り上げを誇るパチンコ産業がなくなり、そこで働く人たちの雇用の場が失われます。当然、パチンコやパチスロを生産しているメーカーにも同様の影響があります。税収も減少します。

そしてゲーミング愛好家は娯楽を失われるか、あるいはアングラカジノにますます傾倒していき、犯罪者の資金源となります。それを取り締まる治安維持のコストは増加します。このような事態を招くことは米国の禁酒法時代を考えると分かりやすいでしょう。

当時、禁酒法の合法化を求めていたのは良識ある宗教家であり婦人団体であり、そしてマフィアでありました。良識ある人たちにとってゲーミングは倫理的な抵抗もあるでしょうが、ゲーミングを楽しみたいという人々の欲求を無視した理想論ではよけいに社会不安を招くことになります。


ゲーミング事業の捉え方としては少数の依存症患者の増加を憂慮して大多数のプレイヤーの楽しみを奪うことは、果たして合理的な判断でしょうか。

「およそ先進国と呼ばれる国は、リベラリズム(個人の責任において自由選択を増大させる社会)の思想によって伝統的な悪習(オカルティズム、差別主義、偏見、呪術主義)を打破できる国でなければならない」 (谷田一郎氏)。そしてリベラリズムの実現には、一定のルールの下で、様々な選択肢の中から個人が自己判断・自己責任によって自由に選ぶ行為が絶えず求められています。

自分の所得を何にどれだけ使い、どの程度貯蓄に回すのか、その貯蓄は銀行に預金するのか、あるいは株式投資をするかなどは個人の判断に任せるべきであり、その判断に基づく行動の結果(利得や代償)は自己責任で処理すべきことであります。法律を遵守しない社会や、選択の自由を制限し保護を重視する社会は「成熟した大人の社会」とは言えません。

自己判断もできず、自己責任をとれない社会は未成熟な社会であり、国際的にも適用しません。そしてゲーミング事業の導入が県民の生活にデメリットが大きいとすれば、沖縄振興計画の目指す自立的発展など望むべくもないでありましよう。


〔鰹t夏秋冬社発行 月刊「自治新報」
20051月新春号〕



posted by 万国津梁 at 06:44| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 月刊「自治新報」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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